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福山克義がつづる
汗と涙と笑いのモノつくりコラム

(39)侘び寂び(わびさび)のカッコよさ

茶道の理念の形成として「侘び」、俳諧の精神形成として「寂び」というらしいです。「侘び」とは、辞書で調べると「簡素化したものがもつ美しさを、さらに削ぎ落としたもので日本における美的理念の一つ。すべて簡素なものの中に存在する閑寂な趣」だそうです。英語の辞書には同様の概念は見あたりません。

京都の大山崎に、千利休が秀吉に献上した「待庵」(たいあん)という閑寂な空間の茶室があります。二畳ほどのごく狭い茶室にはその時代の「侘び」を凝縮した世界があります。

壁は荒く塗りたてた漆喰、天井は忍びの者を寄せ付けないために天井板のない竹格子だけで屋根裏が見えるつくりです。
出入口は「にじりぐち」といって60cm四方の本当に小さなものです。

当時秀吉が建てた大阪城聚楽第の豪華絢爛な黄金色とはかけ離れた世界があります。秀吉の美意識と利休の美意識は大きく違いました。大阪城は別名「金城」ともいい。茶器そのものも金ばかりを使ったものが多かったといいます。

しかし、建築家の黒川紀章は言います。その差に本当の「侘び」の良さがあったのです。

いかに素晴らしい「待庵」でも毎日がこのような場所にいたら飽きてしまいます。華やかさの反対にこの空間が引き立つのです。ですから華やかな空間を知らないでこの閑寂な空間を見ても、本当の良さは分からないのでしょう。

これこそが、本当の「侘び」だと利休の先々代の師匠から言われていますし、利休の弟子の織部も利休とは正反対の非常に華やかな茶道を展開しています。

また千利休はその静寂な「待庵」で、時の戦国武将と「よばなし」をして鉄砲を売買するという武器商人としての動きもしておりドラスティックな人生を歩んでいます。

建築だけでなく日本の美術、特に日本刀に私は最高の「侘び」を感じます。西洋にも沢山の武器がありますが、日本刀ほど素晴らしい刀はありません。

人の手造りでどうしてあの直線と美しい曲線が出来るのか不思議です。剣先を見ると恐怖とある妖術に似たものを感じます。金属を重ね合わせた鋼とのバランスがどうしてこんなに美しく出来上がるのでしょうか。模造品しか持ったことのなかった自分は、紙を口にはさんで実際に本物を持ってみると、武道家の贅沢を肌で感じることができました。

「侘び」のもつ美しさには人の生き方にもあらわれます。
例えば、子供を持つ女性を例に挙げましょう。子供を育てるという大変な仕事をやっている彼女らは、なりふり構っていられませんので(そうでない方もおられますが)、失礼ながら色気ということからは遠くなってしまいがちです。

でもその母親が「女」としてドレスアップして、酒場で飲んだり派手に踊ったりした時に妙にサマになったとしたら、その差が「侘び」の素晴らしさというものになりましょうか。

この全く相反するものを認めるというのは、ある意味日本人らしい素晴らしい価値観だと思います。日本は八百万(やおよろず)の神を認める、本当にたくさんの多様性を受け入れることができる文化を持っています。

クリスマスを祝って、年が明けると神事に初詣をして仏前にお参りします。これがおかしいと言う人がいますが私は決してそうは思いません。逆に日本人の許容量の大きさを感じます。

ハワイにいた頃、オマエの宗教はなんだ?と聞かれて私は「ない」と答えたら軽蔑の目で見られました。(>_<) 西洋人には理解できない範疇なのです。

彼らは宗教がハッキリしていないのは人間じゃないというパターン化した判断しかもてない民族なのです。二回目に聞かれたときは私は即座に「私の宗教は武士道だ」と言いましたが。

相手を理解するにはこの許容量が必要です。「侘び」の差を認める力です。正しいか正しくないかを議論する必要はないのです。そうすれば宗教で対立する戦争なんてなくなるのです。「ほほぅ〜。オレんとこの宗教もいいが、あんたんところの宗教もいいねえ。」となります。

コミュニケーションの目的は、まず相手を幸せすることだと思います。こちらが始めに他人の価値観を認めることによって初めて自分も幸せになれる。このことは商売の上ではサービス精神の基本でもあります。

たとえお客様が理不尽にも無理難題を言ってきても、これを受け入れる許容量は必要だと思います。本当は、逆にそこでどう楽しめるかがその人の力量なのでしょう。

それは全てがカッコ良さに繋がっていると思うのです。
「侘び」はカッコイイのです。
仕事に失敗しても「あぎゃー。悲惨だよなあ。」と笑っている人はやっぱりカッコイイですよね。

鎌倉時代末期に、観阿弥と世阿弥親子が唱えた芸術論もそうです。その「花伝書」には「人の心に思いもよらぬ感動をあたえるやり方、それが花。珍しき花。」と書いてあります。
ハワイには四季がないので一年中同じ花が咲いていますから、日本のような感動はありません。

しかし、日本にははっきりした四季があるので珍しいし美しいと感じます。「秘すればこそ花」という思いがけない喜びや驚きを与えることこそがドラマを作り、感動を作ります。

「侘び」にはパワーもあります。その落差によるパワーです。たとえば男女の恋愛です。

本多宗一郎さんは、「恋愛が文明を進化させる」と言われました。服装だって車だってよりカッコ良くみせたいという男と女の恋愛感情がエネルギーとなっているというのです。ここで自分を高めたりカッコ良くなりたいという意識があれば、やっぱりその人はそれだけでカッコイイのです。

カッコ良さの定義とは、私は「意外性」だと思います。私はスマップの振り付けをしているKABAちゃんはカッコイイと思います。日頃ニューハーフの身のこなしにありながら、踊るときはもうスゴイ男らしいダンサーに変身するのです。私はもうシビレました。(^。^)

リッツカールトンホテルが何故カッコいいのか?あの素晴らしいホテルにはやっぱり「侘び」がいたるところにあるのです。実はその「侘び」を見つけた自分もカッコいいということになりますので本当に参ってしまいます。

高級レストランに行って、高い金をだしているからといって威張ってしまうのはカッコワルイです。客であっても姿勢が低いのはずっとカッコイイです。

通常納期が一週間かかるのに翌日届いたら、やっぱりカッコイイです。意外性です。

モノづくりにはこの「侘び」が必要でサービスにも「侘び」は必要です。

日本のこころ「侘び」はカッコイイのです。