(37)Pearl Harborから学ぶこと
戦争は絶対にやってはいけない行為です。ただし戦争から学ぶべきことは確かにあります。
ハワイにいたときにアルバイトで観光案内をやっていました。キャデラックに乗った現地案内人です。「この木なんの木気になる木」のモアナルアガーデンからパイナップル畑の地平線を走り、サーフィン世界選手権で有名なノースショアなどを廻るのですが、パールハーバーだけは日本人の私はあまり気のすすまない場所でした。
戦艦アリゾナが今でも沈んでいて上から見えます。60年前の油がまだ流出していて、爆弾が誘爆するので船を動かせないためにたくさんの人骨はいまだに船内に入ったままです。
アリゾナメモリアルの上は、いつもしーんとしています。あのアメリカ人が妙に静かになります。ここでは日本人は年輩のアメリカ人の目を見ることもできません。
もし、あそこで「ジャップ」という言葉を聞いても何も反論できないでしょうし、してはいけない雰囲気です。そこで上映される映画は勧善懲悪。日本という悪い国が世界秩序を守るアメリカに奇襲をしてきて、正義の兵士がたくさん殺されたというものです。日本は帝国主義のために中国に進出し、石油獲得のために東南アジアを侵略という話しです。
さて、この戦争で唯一勝った奇襲攻撃だと言われていますが、私はこの奇襲攻撃は本当は勝っていないのではないかと思います。真珠湾攻撃は大失敗の攻撃だったのです。
真珠湾攻撃は、日本軍にとっては本当に運の良い攻撃でした(ルーズベルトが事前に知っていたという説は私は疑問に思っています)。日本軍は6隻の空母で大艦隊なのになぜか米軍の哨戒機に見つからず、尚かつレーダーに見つかっても、見方だと誤認されてしまいました。日本軍はオアフ島北部方面から進撃するだろうという米国の予測までありました。
日本のお役所の送別会で二日酔いの担当者が宣戦布告を2時間も遅らせ、結果的に卑怯な奇襲となってしまった真珠湾攻撃です。
奇襲でしたが、大失敗の攻撃でもあったのです。当時真珠湾には一番重要なターゲットの空母がいませんでした。急降下爆撃機の第一波攻撃隊長が打電したトラトラトラは実は半分嘘の報告でした。
水平爆撃機は空母を探し求めました。空母がいないので、第二の目的である水深の浅い真珠湾に戦艦を沈めることによって湾を封鎖するという目的だけに攻撃は絞られたのです。結果的に空母がいなかったことが、日本にとって大きく不利な戦争に結びつく結果となり大きな失敗となったのです。
真珠湾攻撃のあと日本軍は戦略の上で、学ぶことのスピードが極端に遅くなりました。何故失敗したかを真っ正面から反省せずにいたこと、国民も提灯行列をしてイケイケドントンという姿勢になったことです。国民も制限された情報のなかで学んでなかったのです。
戦闘機どうしの空中戦を「ドッグファイト」といい、映画の「パールハーバー」でご覧になった方は、ご存じだと思いますが、飛び立ったアメリカP−40戦闘機が次から次から零戦にやられてしまいます。開戦当時の零戦の強さは世界ではNO.1だったのです。航続距離と旋回能力は飛び抜けていました。まして飛行時間1000時間を超すベテランパイロットの零戦軍団には、平均飛行時間300時間のアメリカ戦闘機は勝てません。
そこでその後、アメリカは徹底してドッグファイトを禁止しました。日本のドッグファイトの挑発にはのってはいけないという方法で、もっと上空からヒットエンドランという戦法にでたのです。それも零戦1機に対して2〜4機の戦闘機の量で戦ったのです。
零戦はいつまでたってもドッグファイトを挑もうとするのですが、戦う前に破れてしまいます。ここはまさしくランチェスター強者の戦略です。ビジネスでは営業マンの質よりも人数とその訪問件数です。
そうしているうちにアメリカはパワーアップした航空母艦専用のコルセアを作りました。このネイビーブルーの大きな機体を一度見ましたが、これが戦闘機の大きさか?とど肝を抜かれます。ど迫力のパワーをもった戦闘機で重機関砲をそなえています。
ビジネスではまさしく商品力です。この商品力に対して飛行時間が少ないパイロットしかいなくなった零戦はやられてしまいます。米国の開発の速さはもの凄いものがあったといいます。日本の建造の早さはアメリカの5倍もかかっていたそうです。技術はあっても全くスピード感のない日本の製造スピードだったのです。
アメリカが戦略として海を制するには空からだ、と悟ったのは日本の真珠湾攻撃だそうです。日本はヒントをあげてしまったようです。この真珠湾攻撃が原因で戦争の主役は空母に移りました。アメリカは戦艦ミズーリと戦艦ウィスコンシンを造った後、戦艦造りをやめてしまいます。
ちなみに、今、ミサイルを積んで走り回ってる船は巡洋艦などで、戦艦ではありません。戦艦というのは、船同士で戦うことを目的に造られた船で、ミサイルではなく主砲で勝負します。砲弾を打ち合ってもしょうがないわけです。
ただし日本は戦艦から空母への転換が遅れ、戦艦大和などを建造しているから戦争に負けたというのは間違いです。日本がワシントン条約破棄後に建造した戦艦は大和・武蔵のたった2隻だけなのです。とにかく建造スピードが遅いのです。
私が思うに、日本軍は真珠湾攻撃で成功したことは何かを検証しなかったこと、そして真珠湾攻撃で失敗したことは何なのかを反省しなかったことにあると思います。このことはビジネスでも一緒です。運が良かったことを認識し、どこが失敗したのかを検証することが大切です。
戦争と違ってビジネスでは人は死なないので失敗に対して大胆に取り組めます。PDCA(プラン、ドゥー、チェック、アクション)がやりやすい世界です。
チェックまでやれているのに最後のアクションがなかなかやれない人が多いとよく言われます。10を知って何もしないより、1を知って1を行動するのが戦略が最も生きる方法です。
知っているかどうかではなく、問題は実践しているかどうかです。
そしてその決断をするのは今でなかったらいつがベストかを決断する。
米国の戦略変更の俊敏さと兵器開発の早さに学ぶことは大きいです。
「拙速は巧遅に勝る。」
いまこそ日本人がパールハーバーから学ぶことは多いはずです。
Remember Pearl Harbor !
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